翻訳と辞書
Words near each other
・ 東鉄都市間高速バス桜ケ丘ハイツ〜名古屋線
・ 東銀
・ 東銀リース
・ 東銀之介
・ 東銀座
・ 東銀座出口
・ 東銀座出版社
・ 東銀座駅
・ 東鋼杯プロ囲棋戦
・ 東錦
東錦栄三郎
・ 東錦絵
・ 東鎌ケ谷
・ 東鎌ヶ谷
・ 東鎌倉村
・ 東鏡島駅
・ 東鑑
・ 東長倉村
・ 東長原駅
・ 東長密寺


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

東錦栄三郎 : ウィキペディア日本語版
東錦栄三郎[あずまにしき えいざぶろう]

東錦 栄三郎(あずまにしき えいざぶろう、1940年10月2日-1994年11月9日)は、1960年代に活躍した東京都新宿区西新宿出身の大相撲力士高砂部屋に所属していた。本名は星野 栄三郎(ほしの えいざぶろう)。現役時代の体格は173cm、132kg。最高位は東前頭15枚目(1962年9月場所)。得意手は左四つ、吊り、寄り。
== 来歴・人物 ==
実家は豚カツ屋で、兄2人は共に明治大学付属中野高校から明治大学に進学し、野球で活躍。三男の栄三郎も、中学校卒業後は兄達と同じ高校に進学するつもりであった。だが、栄三郎の体躯の良さに目を付けた高砂部屋の幕内力士・藤田山が同部屋の横綱・東富士(後、年寄・錦戸)に彼の事を伝え、東富士の再三に亘る勧誘もあって高校進学を諦める事になった。 
1956年春、高砂部屋へ入門し、同年5月場所にて初土俵。因みに同期の初土俵組には、後の関脇海乃山や前頭筆頭の大雄などがいる。当初の四股名は、本名でもある「星野」(その後、1957年1月より、東富士に因んだ「東錦」へ四股名を改めている)。
以来、比較的順調に番付を上げ、1962年3月場所で十両に昇進。そして、十両を3場所連続勝ち越しで突破し、同年9月場所にて入幕を果たした。
だが幕内では苦戦し、常錦星甲らには勝ったが3勝12敗と大きく負け越して、1場所で幕内の座から陥落。
以後は29場所連続で十両に在り、1966年1月場所に於いては十両優勝を遂げるなど頑張ったが、遂に2度目の入幕は叶わなかった。
5年8ヵ月ぶりに幕下へ下がった1967年9月場所では、初日から休場し、この場所を以って26歳の若さで引退
引退後は角界に残らず、家業である豚カツ屋の経営に従事したという。
1994年11月9日、逝去。享年54。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東錦栄三郎」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.