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松下 年宏(まつした としひろ、1983年10月17日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身〔J1仙台キャンプイン 鹿児島に“球春”到来 47NEWS (2011年1月26日)〕 のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)及びディフェンダー(DF)。 == 来歴 == 兄の影響でサッカーを始める〔 Jリーグ選手協会 (2008年5月2日)〕。 1999年に鹿児島実業高校に進学。3年時のインターハイ及び選手権では、同期の赤嶺真吾、立石飛鳥、登尾顕徳と共にベスト4入り。同年、明治大学サッカー部のセレクションを受け合格していたが、ガンバ大阪からオファーを受け、高校卒業後の2002年、G大阪に入団。主に右サイドバックとしてルーキーイヤーから多くの試合にベンチ入りし、Jデビューも果たした。 2005年には自己最多の14試合に出場するも、2006年は右WBに加地亮が加入したことなどにより出場機会に恵まれず、公式戦の出場機会確保と気持ちをリセットするために〔 WEBサッカーマガジン (2008年7月22日)〕 同年6月から2007年12月までの1年半という長期の期限付き移籍でアルビレックス新潟へ移籍した〔 ガンバ大阪 (2006年6月9日)〕〔ガンバ大阪より 松下 年宏 選手 期限付き移籍加入のお知らせ アルビレックス新潟 (2006年6月9日)〕。チーム屈指の機動力と多彩なキックで信頼を集め、2008年の移籍期間延長を経て〔 ガンバ大阪 (2008年1月15日)〕〔松下 年宏 選手 期限付き移籍期間延長のお知らせ アルビレックス新潟 (2008年1月15日)〕、2009年より完全移籍〔 ガンバ大阪 (2009年1月14日)〕〔松下 年宏選手 ガンバ大阪より完全移籍にて加入のお知らせ アルビレックス新潟 (2009年1月14日)〕。2009年は主にインサイドハーフで起用され〔ナビスコカップなどではウイング、シーズン終盤にはサイドハーフで起用されている。〕、リーグ戦全試合出場を果たした。 2010年、新潟との契約を満了し〔新潟MF松下を獲得 レベルアップ目指しFC東京へ 東京中日スポーツ (2009年12月26日)〕FC東京へ完全移籍〔松下 年宏選手 FC東京へ移籍のお知らせ アルビレックス新潟 (2009年12月25日)〕〔 FC東京 (2009年12月25日)〕。FC東京では万能型MF〔万能MF松下が新天地で始動 東京中日スポーツ、2010年1月16日〕 とされ、左サイドハーフを主ポジションとしたが〔松下 凱旋試合でアピールだ 東京中日スポーツ、2010年2月13日〕〔長友&松下で左サイド射抜く 東京中日スポーツ、2010年3月5日〕、チームがより攻撃に比重を傾ける場合にはサイドバックに配されることもあり、また、ボランチとして起用されることもあった。正確なプレースキックに自信を持ち〔Tokyo Mania 第40回 松下年宏選手インタビュー 182Channel、2010年6月16日〕 セットプレーのキッカーも任されていた他、チームメートの羽生直剛からは「試合終盤でも長い距離を走(ってチャンスを作)れる能力がある」〔【第90回天皇杯3回戦 北九州 vs FC東京】試合終了後の各選手コメント J's GOAL、2010年10月11日〕 とスタミナや運動量を評価され、大熊清監督からも「90分攻守で運動量を出すことができる」〔【第90回天皇杯4回戦 FC東京 vs 千葉】大熊清監督記者会見コメント J's GOAL (2010年11月18日)〕 と認められていたが、同年9月以降の大熊体制下ではリーグ戦での出場機会を激減させていた〔仙台攻撃的MF底上げへ東京松下獲り 日刊スポーツ (2010年12月22日)〕。なお、同年10月10日に元新潟放送アナウンサーの枦山南美と入籍〔松下年宏選手 入籍のお知らせ FC東京 (2010年10月14日)〕〔FC東京・松下が枦山南美アナと結婚 サンケイスポーツ 2010年10月15日閲覧〕。 2011年、試合に出られない状況を変えたいと〔仙台松下「両足のキック精度生かしたい 日刊スポーツ (2011年1月20日)〕ベガルタ仙台へ期限付き移籍〔松下年宏選手 ベガルタ仙台へ期限付き移籍決定のお知らせ FC東京 (2010年12月30日)〕〔FC東京 松下年宏選手 ベガルタ仙台へ期限付き移籍加入のお知らせ ベガルタ仙台 (2010年12月30日)〕。レギュラー確保には至らなかったものの、出場停止を除く全試合にベンチ入りし〔選手出場記録 Jリーグ (2011年12月3日)〕 チームの躍進に貢献〔仙台松下完全移籍、堅守奮闘の朴も残留 日刊スポーツ (2011年12月22日)〕。2012年より完全移籍へと移行〔松下年宏選手 ベガルタ仙台へ完全移籍のお知らせ FC東京 (2012年1月10日)〕〔松下年宏選手 完全移籍加入のお知らせ ベガルタ仙台 (2012年1月10日)〕。得意のボランチを中心に複数ポジションをこなし、主力欠場の穴埋め役や〔 スポーツ報知 (2012年4月14日)〕 スーパーサブとして重宝された〔 スポーツ報知 (2012年5月26日)〕。2013年をもって退団。 2014年より横浜FCへ完全移籍〔松下年宏選手 横浜FCへ完全移籍のお知らせ ベガルタ仙台 (2014年1月10日)〕〔松下年宏選手 ベガルタ仙台より完全移籍加入のお知らせ 横浜FC (2014年1月10日)〕。ゲームメーカー役として攻守に貢献し、8月の5連戦では2ゴール2アシストの活躍で同月のリーグMVPを受賞〔【2014Jリーグ J1リーグ戦/J2リーグ戦】8月度の「コカ・コーラ Jリーグ月間MVP」決定 -J1:柴崎 岳選手(鹿島アントラーズ)/J2:松下 年宏選手(横浜FC)- Jリーグ (2014年9月16日)〕。同年は主に右サイドハーフに入り、チーム最多のアシストとシュート数を記録した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松下年宏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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