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松下房利[まつした ふさとし] 松下房利(まつした ふさとし、慶長11年(1606年) - 延宝4年8月22日(1676年9月19日))は、江戸時代の旗本。通称、彦兵衛。官位は、従五位下伊賀守、のちに豊前守。松下安綱(常慶)の五男。母は落合蔵人の娘。兄弟に松下重綱、仙誉、昌俊、松下貞綱、松下氏秀。室は松下長晴の娘、継室は大久保忠重の娘。子に松下長房、松下貫長室、大久保忠因室。 寛永6年より徳川家光に仕える。のちに小姓組番士を務め200俵を給され、寛永10年(1633年)2月7日、武蔵国足立郡上尾下村、門前村(一部)、須ヶ谷村(一部)(現・埼玉県上尾市)等加増分200石を加えて400石を賜る。寛永16年4月15日に中奥番士に、承応2年10月22日二の丸留守居になる。そして、万治3年4月13日には後水尾天皇御所附となり、摂津国島上郡、島下郡において500石を加増される。同年10月16日、従五位下伊賀守に叙任される。延宝元年7月末日に職を辞し旗本寄合席となる。延宝3年12月14日、家督を長房に譲り、養老料300俵を賜る。延宝4年に71歳で没する。法名笑円。墓所は上尾下村放光院。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松下房利」の詳細全文を読む
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