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松下 正幸(まつした まさゆき、1945年(昭和20年)10月16日 - )は、日本の企業人。パナソニック(旧・松下電器産業)代表取締役副会長、PHP研究所代表取締役会長、関西経済連合会副会長。元関西経済同友会代表幹事。慶應義塾評議員。 == 人物・経歴 == 大阪府出身。第二次世界大戦終結後すぐの松下電器産業がGHQから睨まれた時期、創業者・松下幸之助の娘・幸子と結婚し婿養子となった松下正治の長男として生まれる。姉がいるほか、弟には“ヒロ松下”弘幸がいる。命名は正治が家長であった幸之助に名づけを依頼した際、「正治の“正”と幸之助の“幸”から一字ずつ取ったらええがな」という幸之助の言葉から〔。NHKのテレビドラマにもなった元松下家執事・髙橋誠之助の著書『神様の女房』より。ドラマでもこのエピソードが取り上げられている〕。 灘高等学校を経て慶應義塾大学経済学部を卒業後、1968年に松下電器産業入社。入社の年、松下家の“三代目”として帝王学を身に着けるべく、アメリカのビジネススクールであるウォートン・スクールのMBA課程に留学した。卒業後はそのまま現地法人で勤務。帰国後、本社の洗濯機事業部長などを経て取締役となり、常務、専務、副社長を歴任。 次期社長になると目されていたが、2000年6月の人事では中村邦夫が社長に就任し、正幸は副会長となった。これにより松下家の世襲による経営体制は崩壊し、後の業績悪化もあって中村は松下一族が築き上げた態勢を一新する大リストラを決行した。そうした事情もあってか、正幸は以後財界活動に身を置くようになった。2004年5月から2年間、関西経済同友会代表幹事を務めたほか、2010年には関西経済連合会副会長として総理大臣官邸を訪れ、当時の鳩山由紀夫首相と会談した〔首相動静―2月23日〕。 2014年時点では、パナソニック 副会長、PHP研究所 会長、松下不動産 社長、松下幸之助記念財団 理事長、ニュー・オータニ 社外取締役、ホテルオークラ 社外取締役を務めている〔第88期 定時株主総会招集ご通知-ロイヤルホテル 〕。 私生活では日本生命の元社長・弘世現を祖父に持つ岡橋昌子(よしこ)と結婚し子を4人もうけたが、昌子は2009年12月22日に56歳で亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松下正幸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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