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松下直美[まつした なおよし]
松下 直美(まつした なおよし、嘉永元年11月1日(1848年11月26日) - 昭和2年(1927年)5月18日)は、福岡市長、大審院判事、司法官僚。 == 経歴 == 福岡藩士松下理兵太の長男として福岡城下に生まれる。長崎に遊学し、英語とフランス語を学んだ。1867年(慶応3年)、藩命で海外留学を命じられ、アメリカ合衆国、フランスを経て、スイスのローザンヌに留学した。しかし翌年、藩の財政難から帰国を命じられた。 帰国後の1871年(明治4年)、兵部省に出仕し、ほどなく司法省に移った。司法省では明法権大属、明法大属、司法大録を歴任し、1876年(明治9年)には翻訳課御用掛となり、洋書の翻訳作業に従事した。その後、司法二等属、司法一等属、太政官一等属を歴任し、1881年(明治14年)に判事に転じた。長崎控訴院判事、広島始審裁判所所長、山口始審裁判所所長、山口地方裁判所所長、広島地方裁判所所長を歴任し、1899年(明治32年)に大審院判事に就任した。 同年、福岡市会から市長に選出され、1905年(明治38年)まで在任した。在任中、帝国大学の誘致に尽力した結果、京都帝国大学の分科大学として福岡医科大学が設置され、九州帝国大学の基礎を築いた。 市長退任後、統監府から判事として招かれ、大邱控訴院部長、大邱地方裁判所長などを務めた。引き続いて1910年(明治43年)より朝鮮総督府裁判所判事を務め、その翌年に退官した〔『官報』第8534号、明治44年11月30日〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松下直美」の詳細全文を読む
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