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松井康英 : ウィキペディア日本語版
松平康英[まつだいらやすしえい]

松平 康英(まつだいら やすひで)は、江戸時代末期(幕末)の旗本大名江戸幕府外国奉行神奈川奉行大目付勘定奉行、南町奉行を歴任した後に本家の大名家を相続、奏者番寺社奉行老中となった。陸奥棚倉藩第4代藩主、武蔵川越藩初代藩主。松井松平家12代。川越においては、城下宮下町藩校長善館を開いた人物として知られる。旗本時代は松平 康直(まつだいら やすなお)で、本家相続後に康英と改名した。
== 生涯 ==
旗本5000石で寄合松平軍次郎康済の長男として江戸木挽町に生まれる。弘化4年(1847年)12月10日、父の隠居により家督を相続する。当時は康直と名乗った。嘉永4年(1851年)9月から翌5年(1852年)9月まで駿府加番を勤め、安政2年(1855年)7月19日、火事場見廻役へ異動、安政5年(1858年)11月29日には寄合肝煎(3000石以上の旗本の世話役)、同年12月8日に講武所頭取、安政6年(1859年)12月15日、外国奉行となり同時に従五位下石見守に叙任。翌日には神奈川奉行兼任となった。
万延元年(1860年)9月15日には外国奉行を罷免され、神奈川奉行専任となる。しかし文久元年(1861年)4月12日には再び外国奉行兼任となり、同年8月21日には江戸・大坂・兵庫・新潟の開市の延期とロシアとの千島樺太国境画定交渉のために欧州へ行くことを命じられ(文久遣欧使節)、12月22日に交渉使節団副使として欧州各国へ向けて出発し、翌文久2年(1861年)12月11日帰国した。帰国直後の28日に外国奉行専任となり、翌日には300石を加増された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Matsudaira Yasuhide 」があります。



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