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松井 潤子(まつい じゅんこ、1906年12月7日 - 1989年8月1日〔『現代物故者事典 1988〜1990』 日外アソシエーツ、1993年、604頁。〕)は、日本の女優。本名、水原 潤子(みずはら じゅんこ 、旧姓:蔵数)。初期の芸名は「松井 きよみ」、「松井 清美」〔『日本映画人名事典』、553頁。〕。 姉は女優の松井千枝子。夫はプロ野球選手、監督の水原茂。 == 来歴・人物 == 1906年(明治39年)、東京市浅草区諏訪町(現、台東区駒形)に生まれる。 1924年(大正13年)、第一高等女学校卒業を前にして、病気の姉の代役で舞台協会の『その妹』に出演〔。卒業後「松井きよみ」として芸術座の舞台に立った後、国際活映に「松井清美」の芸名で入社するが間もなく解散したため姉の千枝子と共に松竹蒲田撮影所に入社〔、芸名を「松井潤子」に変更した。松竹での初出演作は『大地は微笑む』〔。 1926年(大正15年)、4社競作の『悲恋心中ヶ丘』のヒロインに抜擢される〔。1927年(昭和2年)7月に準幹部女優に昇進〔。この年、千枝子が脚本、主演した『哀愁の湖』に、千枝子演じる星野小春の同級生役で共演している〔升本喜年 『人物・松竹映画史 蒲田の時代』 平凡社、1987年、140頁。〕。役柄は現代劇のモダンガールが多かった。 1929年(昭和4年)、姉の千枝子が29歳の若さで他界した。その後1931年(昭和6年)から脇役に回る〔『日本映画人名事典』、554頁。〕。 1934年(昭和9年)3月17日に賭け麻雀を行ったとして飯田蝶子らと共に検挙されている〔誰か昭和を想わざる 昭和ラプソディ(昭和9年1〜3月) の記述を参照。2011年8月29日閲覧。〕。 1935年(昭和10年)〔慶応大学野球部のスター選手だった水原茂と結婚。1940年に引退、家庭に入った。その後は水原を陰から支えた。 水原が1982年(昭和57年)に没してから7年後の1989年(平成元年)8月1日に心不全のため〔亡くなった。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松井潤子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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