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松井 由利夫(まつい・ゆりお 1925年(大正14年)3月18日 - 2009年(平成21年)2月19日)は、日本の作詞家。氷川きよしの恩師として知られる〔「日刊スポーツ」、朝日新聞社、2009,2,22 〕。 == 経歴 == * 1925年(大正14年)3月18日、東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)出身。本名:松井義雄(まつい・よしお)。 * 1944年(昭和19年)東京第二師範学校(現在の東京学芸大学)卒業。 * 1946年(昭和21年)、小学校教員を勤めながら、童謡『希望の丘』で作詞家としてデビュー。以後、小学校の教員を務めながら、地道に詩作を行う。 * 1954年(昭和29年)、既に著名作詞家であった石本美由紀の門下生となり、同氏が主宰する歌謡同人誌新歌謡界に入会する。三宅立美、秋田泰治、星野哲郎、たなかゆきを、八反ふじを、岩瀬ひろしは、当初からの同門詩友である * 1956年(昭和31年)6月、マーキュリーレコードの専属作詞家となる。 * 1958年(昭和33年)、松山惠子歌唱の『だから云ったじゃないの』のヒットを機に、小学校教員を辞し、作詞家に専念するようになる。 * 以後、村田英雄、井沢八郎、五木ひろし、米倉ますみ、坂本冬美など多くの演歌歌手に作品を提供し、演歌界の立役者と云われるようになる。“はぞの なな”のペンネームで作詞した作品も多い。 * 2000年(平成12年)、自ら発掘した氷川きよしのデビュー曲『箱根八里の半次郎』がヒットし、その後も氷川の作品を手掛ける。 * 2009年(平成21年)2月19日、膀胱癌の為、逝去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松井由利夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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