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松波勘十郎 : ウィキペディア日本語版
松波良利[まつなみ よしとし]
松波 良利(まつなみ よしとし、? - 宝永7年11月19日1711年1月7日))は、江戸時代前期の財政家。勘十郎(かんじゅうろう)の通称で知られている。各地の大名家の財政再建を請負った。
== 来歴 ==
加納藩領であった美濃国厚見郡鶉村(現在の岐阜県岐阜市鶉)出身。元は奥田姓を名乗っていたが、万治元年(1658年加納宿の名主・松波氏の養子になる。寛文9年(1669年)に同家を離れて各地を放浪し、延宝7年(1679年)に幕府代官による美濃国の小物成検地に協力したのを機に貞享年間には下総国匝瑳郡三河国賀茂郡の旗本領の検地を行った。元禄年間以後高岡藩大多喜藩郡山藩三次藩などの財政再建に関与し、人員削減や冗費節減、検地や年貢増徴、専売制の強化、藩札発行などを巧みに組み合わせて成功に導いた。この他にも加納藩や旗本の松下氏でも財政再建に携わったとされる。
だが、松波の方法は大胆でかつ民衆に負担を強いるものが多く、郡山藩では上島鬼貫と激しく対立し、元禄15年(1701年)からの棚倉藩、続く宝永3年(1706年)からの水戸藩での財政再建は大規模な農民一揆を引き起こし、農民3,000人が江戸に出て様々な抗議行動をしたため水戸藩は松波を解任して改革を中止した〔深井雅海『綱吉と吉宗』2012年、吉川弘文館〕。その後、水戸藩を追われて京都に潜伏するが、翌年江戸に入ったところを捕らえられて水戸に護送され、赤沼の獄において2人の子とともに獄死した。
現在でも松波が那珂川利根川を結ぶために構想して一揆によって挫折した涸沼巴川を結ぶ運河勘十郎堀)の遺構の一部が残されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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