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松浦 到(まつら いたる、享保元年(1716年) - 天明3年8月8日(1783年9月4日))は、肥前国平戸新田藩の第4代藩主。 平戸藩第6代藩主・松浦篤信の六男。正室は牧野貞通の娘。子に松浦宝(長男)、娘(大久保教近正室)、娘(大沢基年室のち福原資明継室)。官位は従五位下、大和守、織部正。 享保13年(1728年)、先代藩主の松浦鄰が嗣子なくして早世したため、その養嗣子となって跡を継いだ。明和3年(1766年)5月21日、家督を長男・宝に譲って隠居した。宝は天明3年(1783年)5月7日に死去し、その後を追うように同年8月8日、到も死去した。享年68。法号は崇岳院。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松浦到」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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