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松浦 厚(まつら あつし、1864年7月6日(元治元年6月3日) - 1934年(昭和9年)5月7日)は、明治時代から昭和時代初期の華族。肥前平戸藩主松浦詮の長男。正二位、伯爵。茶道家、漢詩人。 夫人は浅野長勲の養女(長勲の伯父・浅野懋績の娘)益子。弟に大隈信常、松浦靖(はかる、分家、子爵、宮内省御用掛)ら。子に松浦陞(すすむ)。 == 経歴 == 1884年(明治17年)ケンブリッジ大学に留学し国際法を修める。9年間欧州に滞在して1893年(明治26年)に帰国。1908年(明治41年)に父の詮が没し松浦家当主となり、伯爵位を襲爵した。1911年(明治44年)、貴族院議員となった。 「国論の一致」「北海の宝庫」などを著した。 昭和初期に株が大暴落し、300万円の巨額な損失を被り、1944年(昭和19年)71歳で病没。墓所は東京都染井墓地。陞が家督を継いだ。 平戸藩第4代藩主松浦鎮信(天祥)が興した武家茶道の流派である鎮信流を継承する石州流鎮信派の家元でもあり、鸞州の号がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松浦厚」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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