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松浦宗清[まつうら むねきよ] 松浦 宗清(まつうら むねきよ、? - 寛永5年(1628年)?)は、安土桃山時代の武将・大名。本姓寺田氏。寺田知正の子。通称、安大夫。別名に定一とも。兄に寺田正家。松浦久信の従兄弟。 和泉国和泉郡寺田村の国人・寺田知正の次男として生まれる。はじめの名は寺田宗清。和泉守護代・岸和田城主の松浦肥前守に仕えた。天正に入り松浦氏は没落し、天正3年(1575年)に兄の正家とともに岸和田城主となる。そして兄と共に松浦へ改姓して松浦宗清と名乗り、織田信長に仕える。城主になった経緯は、松浦肥前守に対する下克上ともいわれる。のちに豊臣秀吉に仕え、馬廻から岸和田の代官となる(『岸和田藩志』)。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに功があり、翌年に伊勢国井生(いう)川口に移封され、のちに加増され1万石(『勢陽雑記』)となった。天正18年(1590年)の小田原征伐では、石田三成指揮の下で忍城攻めに参加している〔『佐竹義宣(よしのぶ): 秀吉が頼り、家康が怖れた北関東の義将』P121 近衛龍春著 PHP研究所〕。 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属し、伏見城の戦いに豊臣家の弓頭として参加したため改易され、翌年9月に南部利直に預けられる(『篤焉家訓』)。寛永5年(1628年)、同地で病没したというが定かでない。 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松浦宗清」の詳細全文を読む
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