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松浦輝夫 : ウィキペディア日本語版
松浦輝夫[まつうら てるお]
松浦 輝夫(まつうら てるお、1934年 - 2015年11月6日)は、日本登山家1970年に、植村直己とともに、日本人として初めてエベレストの登頂に成功したことで知られる。
== 経歴 ==
大阪市出身〔。高校時代はラグビー選手だったが、本格的な登山を志して早稲田大学教育学部に進学した〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。1957年、早稲田大学卒業〔。
1965年、ヒマラヤのローツェ・シャール峰に挑んだ早稲田大学隊に参加し、松浦は当時の日本人最高到達高度を記録したものの、隊は遭難者を出して登頂を断念した〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。
1970年日本山岳会エベレスト登山隊に参加し、東南稜ルートのリーダーを務め、5月11日植村直己とともに、日本人初のエベレスト登頂に成功した〔。これに対して秩父宮記念賞を受けた〔。植村は、エベレストの頂上に達する直前で、先輩である松浦に道を譲り、松浦を先に頂上に立たせたとされる〔 - ヨミダス歴史館にて閲覧〕〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。当時の新聞報道は、「タフで子ぼんのう」な「まじめ男」と松浦を評した〔同じ記事で植村は「世界の山を放浪」した「"風来坊"」と評されている。: - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。
1981年、早稲田大学K2登山隊の隊長を務め、2隊員の西稜ルートからの初登頂を成功させた〔。
K2隊の隊長を務めた後は、本格的登山からは身を退き、大阪市で家業の材木商の経営に当たった〔。1980年代には、所有する賃貸住宅に「ハイムK2」、「ハイム8848」(エベレストの標高にちなむ)といった名称を付けていた〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。
1991年屋久島へ単身で移住し、2001年まで本格的に陶芸に打ち込む〔。当地で陶芸作品を観光客に販売するなどして得た資金でネパールの学校へ奨学金を送る活動をした〔〔。その後、大阪市に戻った。
2015年11月6日に白血病のため死去した〔日本人初のエベレスト登頂 登山家の松浦輝夫氏死去 植村直己さんと一緒に 朝日新聞 2015年11月7日〕。81歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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