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松濤権之丞[まつなみ ごんのじょう] 松濤 権之丞(まつなみ ごんのじょう、天保7年(1836年) - 慶応4年(1868年)4月末頃)は、日本の武士・幕臣。通称「権之丞」、諱名「泰明」で、正式名は「松濤権之丞泰明」。なお、「松濤」については、「松波」「松浪」等の表記例もある。 == 生い立ち == 母・波通(はつ)の長男として江戸に生まれる。父親の名前は具体的に伝わっていないが、「前田藩(加賀藩?)家老」と云う話が伝えられており、通称「権之丞」は、実父の出自に由来する名付けだった可能性がある〔加賀前田藩の支藩「大聖寺藩」の家老を務めていた山崎権丞家(加賀藩士山崎庄兵衛家を宗家とする一門。権丞初代は青山吉次(青山豊後守吉次)二男のさらに二男で、山崎長徳外曽孫。)の当主は代々「山崎権丞(ごんのじょう)」を称していた。また、幕末期加賀藩における改革派家老として知られた山崎範古(のりひさ)はもともとは山崎権丞家の生まれ。庶子として生まれたために最初は一門の山崎図書家に養子として入るも宗家の山崎庄兵衛家当主を先に継いでいた実兄が早逝したため急遽山崎庄兵衛家当主となり、後に加賀藩家老に任ぜられた。〕。庶子だったため、江戸で生まれるとすぐに寺へ預けられ、そこである年齢まで育てられたという。松濤家の家紋は「抱き茗荷」である。伝承によれば、姓も家紋も預けられた寺の住職から貰ったものだという。住職の姓が「松濤」で家紋が「抱き茗荷」という寺は、芝・増上寺前の妙定院や宝松院、芝・西応寺町の○○寺、浅草の○○寺などがあり、権之丞は今挙げた寺のいずれかにいたようである。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松濤権之丞」の詳細全文を読む
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