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松田元脩 : ウィキペディア日本語版
松田元脩[まつだもとなが]
松田元脩(まつだもとなが、生没年不詳)は戦国武将松田元輝の子。兄に松田元賢、名は盛明とも。富山城主。
永禄11年(1568年)7月5日、何らかの事情(何かしらの催しか?詳細を示した史料は見つかっていない)で父や兄、松田の重臣数人と共に金川城に在った元脩は宇喜多直家と通じた伊賀久隆の兵に金川城を包囲された事により、戦闘に巻き込まれる。(松田の重要人物が一挙に集められているこの日を狙っての襲撃と思われる)
そのまま2日間、身動きが取れずに居たが金川城落城の際に兄、元賢とともに城を退出。兄とは別行動で逃げ、雑兵に紛れ伊賀久隆の手勢の目を欺き危機を脱する。
しかし、金川城攻略と同時に富山城にも宇喜多と伊賀の兵が仕向けられており城主不在の富山城は金川城落城に併せて既に然したる抵抗も出来ずに落城していた為、松田の重臣の多くは金川城で命を落とすか宇喜多に恭順の意を示すかの行動をしていた。
これにより兵を集めて反抗するどころか行く宛てすら無くなってしまった元脩は止む無く宇喜多の手を逃れるため備中へと逃げ延びる。
その後、一説には因幡山名豊国に仕えたという。子孫は讃岐に移住し讃岐松田氏と詫間松田氏の2つに分かれた。元三越会長の松田伊三雄は元脩の子孫筋にあたるという。
もとなか



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松田元脩」の詳細全文を読む



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