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松田盛秀[まつだ もりひで]
松田 盛秀(まつだ もりひで、生没年不詳)は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。北条早雲(伊勢盛時)・北条氏綱・北条氏康の三代に仕えた。松田氏の出身であり、父は松田頼秀(よりひで)。初名は顕秀(あきひで)、後に最初の主君である伊勢盛時から偏諱(「盛」の1字)を受けて盛秀と改名した。官途は、左馬助および尾張守。 ==略歴== 小田原城の奉行と評定衆を務め、それとは別に天文24年(1555年)頃から鎌倉街道の要所であり、北条氏の直轄地である下総国・関宿の代官を兼務するなど、後に北条氏の重臣となる息子・憲秀と同じように早くから重臣として政務に関与していたと思われる。永禄元年(1558年)4月に古河公方・足利義氏が鶴岡八幡宮に参拝した後、小田原城内で招かれた北条氏康主催の宴会では終了の挨拶を宿老達の中で一番はじめに行い〔『鶴岡八幡宮社参記』。松田盛秀・憲秀父子の次に遠山綱景・笠原綱信・清水康英・石巻家貞が挨拶を述べている。(つまり彼らより松田親子の立場が上である事を物語っている。〕 、義氏に馬と太刀を贈呈している。永禄2年(1559年)の役帳では小田原衆の筆頭者が、息子の憲秀になっているので、この頃には家督を譲っていたものと推測される。没年は不明だが、以後の記録に乏しいため、前後に没したと思われる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松田盛秀」の詳細全文を読む
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