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松蔭寺[しょういんじ]
松蔭寺(しょういんじ)は、静岡県沼津市原にある臨済宗系の寺院。往時の東海道原宿東町に当たり、白隠慧鶴所縁の寺として知られる。 == 歴史 == 鎌倉時代中期の弘安2年(1279年)、鎌倉円覚寺末寺として無学祖元門弟天祥西堂が創建したとされる。その後廃れたが、江戸時代前期慶安年間に興津宿清見寺大瑞宗育が同寺末寺として中興し、妙心寺派に属した。 松蔭寺が名を広めたのは白隠慧鶴によるところが大きい。原宿長沢家に生まれた岩四郎は、元禄12年(1699年)に松蔭寺単嶺祖伝の下で得度し、慧鶴を名乗った。白隠の父長沢権右衛門は伊豆国江梨村杉山家の出で、中興の祖大瑞宗育はその叔父に当たるという。宝永4年(1707年)富士山宝永大噴火により境内が大破したが、享保2年(1717年)白隠が帰郷して松蔭寺第5代住職に就き、復興が図られた。白隠の名声が高まるにつれ松蔭寺には門弟が集い、数百人に及ぶ大集団を形成した。明和5年(1768年)白隠が当寺で病没すると、門弟の遂翁元盧がこれを継いだ。 大正期には同じく白隠所縁の三島市龍沢寺住職として同寺の再興に努めていた山本玄峰が松蔭寺住職も兼任した。門弟中島玄奘の代に松蔭寺は妙心寺派から独立し、単立として白隠宗と称した。現在の住職は宮本圓明。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松蔭寺」の詳細全文を読む
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