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松野トンネル崩壊事故[まつのとんねるほうかいじこ] 松野トンネル崩壊事故(まつのトンネルほうかいじこ)は、JR磐越西線(当時岩越線)の喜多方駅 - 山都駅間にかつて存在した松野隧道(松野トンネル)が、竣工からわずか8年後の1917年(大正6年)早春に大崩壊し、喜多方駅 - 山都駅間が1年以上不通になった事故。 == 概要 == JR磐越西線、当時の官設鉄道・岩越線(がんえつせん)、喜多方駅 - 山都駅間には、慶徳トンネル旧東口(旧喜多方坑口)の沢をはさむよう相対して松野トンネル(延長264.6m)が存在し、旧喜多方市と旧山都町の境界付近を直線で結んでいた。1917年(大正6年)3月26日午前3時ころ、煉瓦(レンガ)製だったトンネルの西端付近から徐々に変形が現れて、やがてアーチレンガの大崩落が始まり、数時間でトンネルの西半分がほとんど押し潰されたうえ西口(山都坑口)は完全に押し流されて喜多方駅-山都駅間が1年以上にわたって不通になったもの。地質不良がわかっていたために定期的に巡回点検がなされていたのが幸いし列車事故は未然に食い止められた。にもかかわらず第一次世界大戦のさなかであり、地元紙にも数行載っただけで余り公にはされなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松野トンネル崩壊事故」の詳細全文を読む
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