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板倉健嗣 : ウィキペディア日本語版
大豪健嗣[だいごう けんし]
大豪 健嗣(だいごう けんし、1952年5月23日 - )は、秋田県山本郡山本村(のち山本町、現・同郡三種町)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は板倉 昇(いたくら のぼる)。身長186cm、体重120kg。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は東前頭11枚目(1977年1月場所)。
== 来歴・人物 ==
中学校在学中に花籠部屋へ入門し、1966年5月場所で初土俵を踏んだ。
幕下までは順調に番付を上げたが、幕下上位で苦戦し出世が遅れた。1973年11月場所より弓取式を務め、十両に昇進した1975年3月場所でも弓取式を務めたことから、この1場所だけではあるが「関取による弓取式」として話題になった。
1975年11月場所で新入幕を果たし、以降、1977年7月場所まで幕内を計4場所務めた。
しかし、幕内では1度も勝ち越せず、4場所とも10敗以上の大敗を喫している。
上手でも下手でも、左からの投げに威力があった。根は右四つではあるが左右どちらの四つでも取れる、いわゆる「なまくら四つ」だったが、やや闘志に欠けたためか大成できなかった。
1982年3月場所を以って29歳で引退し、借り株で日本相撲協会に残ったが、1988年9月に廃業(現在では「退職」と表現)。
その後は東京都国分寺市で、相撲料理店を営んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大豪健嗣」の詳細全文を読む



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