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板倉重宗 : ウィキペディア日本語版
板倉重宗[いたくら しげむね]

板倉 重宗(いたくら しげむね)は、江戸時代前期の譜代大名下総関宿藩の初代藩主京都所司代。板倉家宗家2代。
== 生涯 ==
板倉勝重の長男として駿府で生まれる。永井尚政井上正就と共に秀忠に近侍した(同時期の小姓組番頭は他に水野忠元大久保教隆成瀬正武日下部正冬)。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは秀忠に従った。慶長10年(1605年)の家康・秀忠の上洛に従い、秀忠の将軍就任に伴って重宗も従五位下・周防守に叙任された。大坂の陣では冬・夏の両陣に出陣し、小姓組番頭の職にあって家康・秀忠の間で連絡役を務めた。戦後、書院番頭に任命されて6000石を与えられた。
元和6年(1620年)に父の推挙により京都所司代となり、2万7000石を与えられた。元和9年(1623年)11月19日に従四位下に昇位し、12月23日に侍従に任官される。寛永元年(1624年)4月に父が死去すると、その遺領を弟の重昌と共に分割して相続し、重宗は1万860石を継いで合計3万8000石となった。さらに4月21日には1万2000石を加増されて合計5万石となる。
寛永3年(1626年)、第3代将軍・家光の参内に従う。家光の嫡男・家綱が生まれるとその元服官位について朝廷と交渉した。正保2年(1645年)にはその功績により従四位上・右少将に昇位・任官された。
承応3年(1654年12月6日、30年以上にわたって在職した所司代職を遂に退任した。しかし重宗の影響力は絶大で、翌年11月まで次代の牧野親成を補佐した。その後は家綱の補佐、徳川家の宿老として江戸で幕政に参与し、保科正之井伊直孝大老と同格の発言力を持っていたという。
明暦2年(1656年8月5日、下総関宿5万石を与えられて藩主となった。しかし高齢もあって11月に病に倒れ、幕府から医師の派遣を受けるも12月1日に関宿で死去した。享年71。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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