|
板倉 重形(いたくら しげかた)は、上野安中藩の初代藩主。重形系板倉家初代。 == 経歴 == 元和6年(1620年)、板倉重宗の次男として生まれる。兄に嗣子である重郷がいたため、父の死後は家督を継げなかった。寛文元年(1661年)、兄の重郷から摂津のうち9000石を分与され、1万石を領有する。 延宝9年(1681年)5月21日、摂津・下野のうちから1万5000石で安中藩に入り、初代藩主となる。沼田藩の真田信利改易の際の沼田城破却や街道整備、土地政策に尽力し、藩政の基礎を固めた。天和3年(1683年)2月2日に寺社奉行に任じられる。 貞享元年(1684年)7月26日に死去。享年65。跡を養子の重同が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「板倉重形」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|