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板倉重矩[いたくら しげのり]
板倉 重矩(いたくら しげのり)は、江戸時代初期の大名。老中・京都所司代。三河深溝藩主、三河中島藩主、下野烏山藩主。重昌流板倉家第2代。 == 生涯 == 板倉重昌の長男。島原の乱に際しては、上使となった父について島原に出陣した。寛永15年(1638年)1月1日に父が戦死し、その際の不手際を問われて同年12月まで謹慎処分に処される。その後、寛永16年(1639年)6月に家督を継承し、深溝藩主となる。その際、弟の重直に5,000石を分与している。 間もなくして藩庁を深溝から中島へ移転。寛文5年(1665年)に老中となり、酒井忠清などと共に病弱だった4代将軍徳川家綱を補佐した。寛文8年(1668年)、牧野親成の退任を受けて後任の京都所司代に転じるが、寛文10年(1670年)、再び老中職につく。寛文12年(1672年)閏6月3日に下野烏山へ移封された。 寛文13年(1673年)5月29日、57歳で死去(9月21日に延宝と改元)。長男の重良は廃嫡、次男の重澄は早世していたため、三男の重種が跡を継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「板倉重矩」の詳細全文を読む
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