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板倉重良[いたくら しげよし] 板倉 重良(いたくら しげよし、寛永15年(1638年) - 元禄10年10月17日(1697年11月30日))は、江戸時代初期の譜代大名板倉重矩の長男。母は小出吉親の娘。重澄、重種の兄。正室は池田恒元の娘。子に重宣(長男)。官位は従五位下能登守、伯耆守。 重矩の嫡子だったが、寛文12年(1672年)、病気を理由に廃嫡された。翌年、父が死去し弟の重種が家督を継いだが、天和3年(1683年)に重種が隠居すると、重良の長男・重宣と相続をめぐって騒動となる。幕府の裁定により、重種の領地下野烏山5万石のうち、3万石を重種の長男重寛、2万石を重宣が相続することになり、重宣は上総高滝藩主となる。 翌貞享元年(1684年)、重宣が自身に先立ち死去すると、母の実家である小出家から重高を養子に迎えた。元禄10年(1697年)に死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「板倉重良」の詳細全文を読む
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