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板垣信泰[いたがき のぶやす]
板垣 信泰(いたがき のぶやす)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。 == 生涯 == 武田信玄の傅役で、『甲陽軍鑑』に拠れば武田家の「両職」を務めたという板垣信方の父とされるが、異説も存在する〔 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年、p.191〕〔丸島(2015)、p.85〕。『武田御日坏帳 二番』によれば、信方は天文14年(1545年)5月20日に高野山成慶院で「積翁浄善禅定門」の追善供養を行っており、これが信泰にあたるとも考えられている〔丸島(2015)、p.86〕。 信泰は於曽郷(山梨県甲州市塩山下於曽)を本拠とし、大永3年(1523年)閏年3月4日に生母「苗庵理根禅定尼」の逆修供養を高野山引導院で行なっている〔〔丸島(2015)、p.85〕。「向嶽寺文書」によれば、大永5年(1525年)2月25日、向嶽寺(甲州市塩山上於曽)明白軒に湯薬種田を寄進した〔〔丸島(2015)、p.85〕。年未詳3月20日にも同じく明白軒に「御きたさま」の代理として向嶽寺開祖の抜隊得勝へ寺領を寄進している〔丸島(2015)、p.85〕。この「御きたさま」は武田信虎正室の大井夫人を指すとする説がある〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「板垣信泰」の詳細全文を読む
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