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林 哲司(はやし てつじ、1949年8月20日 - )は、日本の作曲家・編曲家・シンガーソングライターである。1980年代に作・編曲した「悲しい色やね」、「北ウイング」などの曲がヒットした。富士コミュニティエフエム放送元・代表取締役。 == 来歴・人物 == 静岡県富士市出身。幼少の頃から歳の離れた兄の影響で米国のポップスを聴いて育った。20歳の頃ヤマハが主催する音楽スクールに入り、その後ヤマハの音楽雑誌の編集などに携わる。1973年にシンガーソングライターとしてデビューするもあまり売れなかった。 その後作曲家・編曲家としての活動が中心となり、1980年代には上田正樹の「悲しい色やね」、中森明菜の「北ウイング」、杉山清貴&オメガトライブの最大のヒットナンバー「ふたりの夏物語 -Never Ending Summer-」等のヒット曲を連発〔杉山清貴&オメガトライブの全シングルを作詞の康珍化と組み作曲・編曲した。〕、1980年代のJ-POPシーンに全盛期を築く。特に「悲しい色やね」以降組んだ作詞家康珍化とのコンビネーション〔康も静岡県浜松市出身の「静岡コンビ」だった。〕は当時最強であった。 また映画音楽やドラマ音楽、イベントの音楽監督やプロデューサーなど幅広く活躍。『ハチ公物語』では主題歌を歌った。現在はチープ広石、吉田朋代とのユニット、グルニオンとして活動する。 地元富士市を拠点に富士市、富士宮市、芝川町をカバーするコミュニティーFMラジオ局『Radio-f(富士コミュニティーFM)84.4HZ』を開局し、同社の代表に就任し〔2009年7月22日開催の定時株主総会をもって退任。〕、毎週日曜正午から自らがMCを務める音楽プログラム『room844』も放送していた。 2003年にはNEW!!わかふじ国体の式典総合プロデューサーを務め、式典での全ての楽曲を作編曲した。これらの楽曲は『Legend of a Winner』としてCD化された。 2005年10月から2010年3月まで、日本テレビ系新人歌手発掘オーディション番組『歌スタ!!』にて「ウタイビトハンター」(楽曲提供する作曲家の審査員)として不定期に出演していた。初登場の時に山岡由佳によろしく札を挙げ、彼女への提供曲『クレイジーフォーユアラブ』を作編曲(作詞は吉田朋代)したが、レコード会社(バップ)からよろしく札が出なかったため、彼女のメジャーデビューは成らなかった。 2007年になってからは、4月にNHKハイビジョン番組『今日は一日 桜・さくら・SAKURA!』内で出演し、イメージ曲『桜日和』(デュエットと作詞はmetro tripの日野友香)が公開された。 5月には林にとって初の邦楽器演奏用作編曲作品『邦楽合奏曲・熊野古道』がCD発売された。 2008年10月23日に東京国際フォーラムにて自身の活動35周年記念コンサートを開いた。杉山清貴、上田正樹、稲垣潤一ら豪華ゲストに加え、コンサート出演時まで伏せられたシークレットゲストに竹内まりやを招き、林が手がけた『September』『象牙海岸』の2曲が歌われて、観客、音楽関係者を驚かせた。 2011年に、沼津港深海水族館・シーラカンスミュージアムの「駿河湾」ブースに、イメージ曲『THE SURUGA-BAY〜母なる海へ〜』を提供。同水族館のCD『DEEPEST』に収録。 2012年には玉井詩織(ももいろクローバーZ)への楽曲提供、2013年より橋口いくよ小説原作の『少年ハリウッド』のTVアニメ及び公式アイドルへの楽曲提供をメイン作曲家として精力的に行なっている。 学校歴としては、静岡県立富士高等学校を卒業し、日本大学商学部へ進学した。サッカー大国静岡の生まれでサッカーをこよなく愛し、時間があれば仲間とプレーを楽しんでいる。サッカー専門誌『GOAL』や週刊『サッカー・ダイジェスト』で連載コラムを持つなどサッカー通としての一面も持つ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「林哲司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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