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林太郎右衛門 : ウィキペディア日本語版
林直利[はやし なおとし]

林 直利(はやし なおとし、永禄12年(1569年) - 寛永6年11月30日1630年1月13日))は戦国時代から江戸時代の武将、福岡藩士。黒田二十四騎の一人。通称は太郎右衛門(たろうえもん)、掃部亮。幼名は吉六。先妻は黒田武俊の娘、後妻は永見貞親永見貞愛叔父)の娘。子に正利、直道、養子に平八がいる。
永禄12年(1569年)、松本直光の次男として信濃国佐久郡軽井沢で生まれる。武田氏の家臣であったが、長篠の戦いでの敗戦後に一家で伊勢国山田に移住。そこから角屋七郎次郎の船で播磨国姫路に寄った際、黒田孝高に小姓として出仕することとなる。その後、母方の叔父・林大学の姓を貰い受け、林太郎右衛門と名乗った。
天正12年(1584年)3月、岸和田合戦で初陣。天正14年(1586年)の宇留津城攻めでは母里友信と共に一番乗りを果たした。天正16年(1588年)、514石を拝領。文禄・慶長の役では鉄砲大頭を務め、そのさなかの文禄3年(1594年)2月には史上唯一の槍による虎狩りを行っている。また、この戦乱で両親や縁者を亡くした女児を日本に連れ帰り、里と名付けて自分の娘のように養育したという(後に里は金龍寺に入って剃髪し、妙清尼と名乗った)。この頃、伏見城建築にも従事している。
慶長3年(1598年)に903石に加増される。慶長5年(1600年)の木曽川・合渡川の戦い関ヶ原の戦いでは黒田長政に従って参戦し、戦功を挙げた。名島城受け取りの際にはその使者を務め、やがて名島城が廃城されることになると、城門の一つを拝領して自宅の門とした。
慶長6年(1601年)、筑前国嘉穂郡土師村一円の3,000石を拝領。慶長15年(1610年)、名古屋城築城の際には福岡藩担当区のひとつ、東大手門及び石垣(通称、清正石の場所)の建築に当たった。慶長19年(1614年)頃より「掃部亮」を称した。
寛永6年(1629年)11月30日、福岡の自邸において死去。享年61。
== 参考文献 ==

*本山一城『黒田官兵衛と二十四騎』、宮帯出版社、2014年、259-269頁



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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