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林家 正蔵(はやしや しょうぞう、旧字体は林家正藏)は、江戸・東京の落語家の名跡。当代は9代目。 1811年(文化8年)初代から4代目までは林屋正藏、1888年(明治21年)5代目から林家正蔵となった。江戸(東京)・林家の留め名(止め名)。 == 初代 == 1781年和泉町新道の生まれ。俗称を下総屋正蔵。札差峰村に奉公した後に1806年に初代三笑亭可楽の門下で楽我を名乗る。林家の始祖。怪談噺の元祖と言われ、「怪談の正蔵」の異名を取った。4代目鶴屋南北と交遊し、『東海道四谷怪談』に影響を受けた。三笑亭可龍、三笑亭笑三、林屋正三を名乗り、1811年頃に正蔵から2代目鹿野武左衛門、林正、再度正蔵、1835年に林泉、再三正蔵になり晩年正蔵坊となった。著作も、『升おとし』『太鼓の林』など多数ある。また西両国に林屋という寄席を経営。なお、始めは「林家」ではなく「林屋」と名乗っていた。林屋の屋号の由来は、「噺家」と音を合わせたことに由来。俳名、林屋林泉。 天保13年6月5日(1842年7月12日)(諸説あり2月6日とも)没。享年62。墓所は台東区慶養寺。 エピソードとして、当時では珍しく火葬をし、燃やした時に棺桶に仕込んであった花火が上がって、参列者を驚かせたという話が伝わっている。 弟子に正八(のちの初代人情亭錦紅)、林正(のちの2代目正蔵(「沢善正蔵」))、正助(のちの正月庵林蔵)、正太郎(のちの2代目鈴々舎馬風)、3代目正蔵(のちの2代目柳亭左楽)、春好(のちの花枝房圓馬)、初代花林花鏡(のちの花林郷の輔)等がいた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「林家正蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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