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枢軸時代(すうじくじだい、、)とは、ドイツの哲学者で精神科医でもあったカール・ヤスパース(1883年–1969年)〔当初、精神医学に現象学的手法を導入して注目を集めたが、『世界観の心理学』(1919)を転機に哲学の道に進んだ。〕が唱えた紀元前500年頃に(広く年代幅をとれば紀元前800年頃から紀元前200年にかけて〔ヤスパースは「枢軸時代の輪郭」を提唱にするに先だって以下のように述べている。〕)おこった世界史的、文明史的な一大エポックのことである。枢軸時代の他に「軸の時代〔湯浅赳男『面白いほどよくわかる現代思想のすべて』、日本文芸社、平成15年1月27日、p93〕」という訳語があてられることもある。 この時代、中国では諸子百家が活躍し、インドではウパニシャッド哲学や仏教、ジャイナ教が成立して、イランではザラスシュトラ(ツァラトストラ、ゾロアスター)が独自の世界観を説き、パレスティナではイザヤ、エレミヤなどの預言者があらわれ、ギリシャでは詩聖ホメーロスや三大哲学者(ソクラテス・プラトン・アリストテレス)らが輩出して、後世の諸哲学、諸宗教の源流となった。 なお、枢軸時代とは「世界史の軸となる時代」〔ドイツ語の''Achse''は「車輪」を原義とし、軸(''axis'')と要点(''pivot'')の2つの意味を含んでいる。〕という意味であり、ヤスパース自身の唱えた「世界史の図式」の第3段階にあたり、先哲と呼ばれる人びとがあらわれて人類が精神的に覚醒した時代、「精神化」と称するにふさわしい変革の起こった時代〔ヤスパース「歴史の起原と目標」重田訳『世界の大思想 40』,p.18〕ととらえられる。 本項では、ヤスパースによって「枢軸時代」と命名され、互いに影響を受けることはなかったものの、異なる場所でほぼ同時代に展開された数世紀の思想史を取り上げ、その世界史における位置づけについて概略を述べる。 == 「枢軸時代」とは == カール・ヤスパースは、1949年に『歴史の起原と目標』(''Vom Ursprung und Ziel der Geschichte'') を刊行して自らの歴史観を述べ、あわせて歴史の将来と歴史の意味について語っており〔ヤスパースは、「世界史の概観がわれわれ自身の時代を決定的に意識するための条件である」と述べ、いまわれわれが生きている現代がどのような時代であるかを理解するためには世界史全体のこれまでの動きをとらえ、そのなかで現代がどのような場所を占めているかを知らなくてはならないと唱えた。『歴史の起原と目標』の執筆には、歴史の全体のなかでの現代の意義を確認しようというねらいがあった。〕、「第1部 世界史/ 第1章 枢軸時代」では、紀元前500年頃を中心とする前後300年の幅をもつ時代を「枢軸時代」と称して、その輪郭を叙述して読者に注意を呼びかけている〔ヤスパース「歴史の起原と目標」重田訳『世界の大思想 40』,p.16-17〕。 ヤスパースはこのように述べて、この時期には東西にすぐれた思想家が輩出し、その特徴は、「自己の限界を自覚的に把握すると同時に、人間は自己の最高目標を定め」〔ヤスパース「歴史の起原と目標」重田訳『世界の大思想 40』,p.17〕、人びとが「人間いかに生きるべきか」を考えるようになった点にあり、これらの思想は、のちのあらゆる人類の思想の根源となったことを指摘している。 なお、この観点に着目したのはヤスパースが最初ではなかったことをヤスパース自身が『歴史の起原と目標』で述べている。それによれば、1856年にラソーが『歴史哲学新論』のなかで、1870年にヴィクトール・フォン・シュトラウスが『老子註解』のなかで同様の事実に注目している〔ヤスパース「歴史の起原と目標」重田訳『世界の大思想 40』,p.22-23〕。 ただし、紀元前500年を中心とするこの思想史上の画期は、ヤスパースによれば19世紀後半以来、話題にされることはあっても本格的に論じられたことはなかった。同時的に展開されたこの文化的平行現象を問題とし、なぜ、このような時代が生まれたかを歴史学的に解明しようとした者はヤスパース以前にはついに現れなかったのである〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「枢軸時代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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