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柄本 明(えもと あきら、1948年11月3日 - )は、日本の俳優、コメディアン。愛称は、えもっちゃん。東京都中央区出身。ノックアウト所属。東京都立王子工業高等学校機械科卒業。妻は角替和枝、息子は柄本佑、柄本時生。 == 来歴・人物 == 印刷屋の父親の息子として岩手県で生まれた〔週刊現代 2010年5月1日号 92頁 - 94頁 私の地図。〕。父親は、殿山泰司の小学生時代の親友であった。母方の祖父は東京・銀座で箱屋(芸妓斡旋業)を経営していた〔。生家が歌舞伎座の裏手にあったこと〔、映画や演劇好きの両親・家族に囲まれて幼少期を過ごしたことが、俳優を志すきっかけとなる。 工業高校卒業後〔、商社に就職。だが、俳優にあこがれ、金子信雄が主宰する劇団「マールイ」の演劇教室の生徒となり、同じ教室にいた松田優作と知り合う。 NHKの大道具のバイトをしている〔当時、大杉漣、小林薫、秋田明大などもアルバイトをしていた。〕 うちに、1974年に自由劇場へ参加、俳優として起用されるようになった(佐藤B作、笹野高史、吉田日出子などが当時在籍)ものの、串田和美の作風に肌があわず、1976年退団し、同年に自由劇場時代に知り合った、ベンガル・綾田俊樹と共に劇団東京乾電池を結成する〔。その後、やはり自由劇場時代に知り合った、高田純次、岩松了らが入団。1976年4月 - 1978年3月頃までベンガル・綾田と『ひらけ!ポンキッキ』のお兄さんを務めたことがある〔。 特異な容貌と、独特の存在感で、テレビ、映画等にも出演するようになる。 24歳からは下北沢に引越し、本多劇場のこけら落しにも出演、下北沢ザ・スズナリでも活動した。そうした縁もあり下北沢の再開発に反対する住民運動のSave the 下北沢にも招かれている〔。 1998年、『カンゾー先生』で第23回報知映画賞主演男優賞や日本アカデミー賞最優秀主演男優賞などを受賞。2004年、『座頭市』などで第58回毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。2011年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 1992年、映画『空がこんなに青いわけがない』では監督を務めている。これ以降監督作は無く、「もう二度とやりません」と語っている。 2006年、NHK大河ドラマ『功名が辻』で次男・柄本時生と親子共演を果たした。『スタジオパークからこんにちは』でゲストとして呼ばれたときには、収録の最中だったのか受け狙いだったのかは定かでないが、豊臣秀吉役の格好のままで登場。その姿で東京乾電池30年の歴史などを語った。 シリアスな演技だけではなく、笑いを呼ぶ演技も得意とする。『志村けんのだいじょうぶだぁ』や『志村けんのバカ殿様』などにおける志村けんとのコントは息がピッタリで印象深いが、本人は「コントは志村さんとしかやらない」と明言している。コントでは、柄本が強烈な個性を持つボケ役を演じ(婚期を逃した四十路女性、挙動不審なサラリーマン、年増の芸者など)、志村がツッコミに徹する形で笑いを誘発するパターンが一貫して取られている。 笹野高史とは自由劇場時代からの30年来の親友で、両者とも『男はつらいよシリーズ』、『釣りバカ日誌シリーズ』で何度も共演しており、どちらかがバラエティに出演した際、互いの愚痴をこぼし合う仲である。 芸能関係者とプライベートの交流をほとんど持とうとしなかった渥美清と親交の深かった数少ない芸能人である。笹野高史を加えた3人で連れ立って芝居を見に行ったり、バーに飲みに行くこともあったという〔週刊女性 2011/01/18・25日号。〕。 2011年6月、紫綬褒章を受章。 2012年1月には下北沢ザ・スズナリにて、劇団東京乾電池35周年記念公演、『ハムレット』に出演。 2013年8月、NHKの番組『旅のチカラ』収録のためにスタッフとともにペルーの劇団を訪れていたところ、強盗事件に巻き込まれた。強盗団は銃で威嚇しながら放送機材などを奪って逃走したが、柄本や番組スタッフらに怪我はなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柄本明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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