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柏山明吉[かしやま あきよし] 柏山 明吉(かしやま あきよし、生年未詳 - 天正18年(1590年)?)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。葛西氏の家臣。胆沢郡大林城主。別名は明好。伊勢守。子に明国、明宗、明長、明久。 胆沢郡を領する葛西氏随一の実力者だったといわれる。永禄8年(1565年)には内西根城主・新渡戸頼長を攻め滅ぼしている。しかし天正8年(1580年)から長男の明国と次男の明宗が後継者の地位をめぐって内紛を引き起こし、さらに周辺の豪族とも争いを引き起こすことになったため、次第に勢力を衰退させた。 天正18年(1590年)の小田原征伐で葛西氏は豊臣秀吉のもとに参陣しなかったために改易される。明吉は豊臣軍に反逆し、浅野長政に大林城を攻められて没落した。このときに戦死したとも伝わる。 == 関連項目 ==
*柏山氏
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柏山明吉」の詳細全文を読む
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