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柏戸利助[かしわど りすけ]
柏戸 利助(かしわど りすけ、天明3年(1783年) - 文政13年10月27日(1830年12月3日))は、陸奥国津軽郡(現:青森県五所川原市)出身の元大相撲力士。 == 来歴 == 1783年に陸奥国津軽郡(現:青森県五所川原市)で生まれる。土地相撲で三役を務めていたところを勧誘されて玉垣部屋に入門、1805年1月場所で初土俵を二段目付出として踏んだ。身体の柔軟さに課題が残るものの筋骨隆々とした体格を存分に発揮して、優勝相当成績16回と雷電為右エ門・谷風梶之助に次ぐ成績を残したが、全勝が一度も無いのに加え、勝率もそれほど良いものでは無かった。それでも力感溢れる豪快な相撲で玉垣額之助(4代)や鳴滝忠五郎と競い合い、文化から文政にかけての相撲黄金時代を築き上げた。この成果が認められ、1823年に五条家から玉垣額之助と共に横綱免許を授与されたが、吉田司家に遠慮して、横綱土俵入りを含めて辞退した。 よきライバル関係だった玉垣額之助が現役死(文政7年(1824年)8月5日)すると、柏戸は大きなショックを受けたのか1825年1月場所では3敗7休と不本意な成績を残し、そのまま現役を引退した。引退前には二枚鑑札によって年寄・伊勢ノ海を襲名していた。弟子の鳥井崎与助が1830年春に急逝すると、後を追うかのように文政13年10月27日(1830年12月3日)に48歳で死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柏戸利助」の詳細全文を読む
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