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柏賢妃(はくけんひ、? - 1528年)は、明の成化帝の妃嬪。 == 経歴 == 正四品指揮僉事の柏珍の娘として生まれた。天順8年(1464年)、英宗に選抜されて、太子朱見深(のちの成化帝)の準側室となった。 成化2年(1466年)、賢妃となった。父の柏珍は正三品錦衣衛指揮使に進封された。成化帝は万皇貴妃を寵愛したが、長男(万皇貴妃の子)が夭折した。成化4年(1468年)、柏賢妃は次男の朱佑極を産んだ。成化6年(1470年)、朱佑極は皇太子となったが、同年夭折した。万皇貴妃が毒殺したという。 嘉靖7年(1528年)、薨去した。享年は不明だが、80歳以上と考えられている。「端順」の諡号を贈られ、金山に葬られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柏賢妃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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