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柳家小半治 : ウィキペディア日本語版
柳家小半治[やなぎや こはんじ]

柳家 小半治(やなぎや こはんじ、1898年(明治31年)6月15日 - 1959年(昭和34年)1月9日)は、音曲師出囃子は『猫じゃ猫じゃ』。通称「50銭おくれよの小半治」。
また記録によると柏木昇という名前で新派俳優の大部屋に属していたこともあるという。
== 人物 ==
東京府東京市浅草区の出身〔ラジオ深夜便 園芸特選 No.20 ラジオドラマ貯蔵庫〕。本名は田代藤太郎。浪曲(浪花節)の浪花亭峰吉の義理の息子。美声だったが浪曲向きの声ではなかったので、1918年頃に3代目柳家小さん門下で小半治を名乗り音曲師になった。奇行が多い事で有名で誰に会っても『50銭おくれよ』と言うのが口癖だった。NHKのラジオに出演したときも女性アナウンサーに『おねぇちゃんきれいだね。50銭おくれよ』と言ってひんしゅくを買った。
晩年は生活も苦しく自身が若い頃に書き留めていた日記を正岡容等の演芸評論家に売っては生計を立てていた。
1959年地下鉄銀座線上野広小路駅で、脳溢血で倒れ、救急車で運ばれるもそのまま死去。。
戦後は寄席の膝がわりで重宝された。
SPレコードも数枚残されておりCD化もされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「柳家小半治」の詳細全文を読む



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