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柳家 小団治(やなぎや こだんじ)は、落語家の名跡。当代6代目。小團治とも表記。上方でも桂小團治として2代目まで確認されている。 *柳家 小団治 - 後の三笑亭芝楽。本名、伊藤栄三郎。 *柳家 小団治 - 漫才師に転じたリーガル千太・万吉のリーガル万吉。 *柳家 小団治(1905年11月11日 - 1986年1月8日) - 生まれは東京で初め6代目春風亭柳枝の門で枝寿、次いで4代目蝶花楼馬楽(後の4代目柳家小さん)の門で柳家小しんから大正の末に小団治となった。新作落語を多くこなした。戦争末期には落語家から落語芸術協会の事務局長に主任した。巳年に因んで巳野歳男のペンネームで芸談を書き残している。晩年は愛妻の看護に明け暮れ自らは交通事故で不慮の死を遂げた。本名、長谷川藤太郎。 *桂 小団治 - 最初4代目柳家小さんの門で小とよ、後に2代目桂小文治の門で小団治になった。戦後ぐらいまで活躍したものとみられる。本名、福島豊吉。 *柳家 小団治 - 後の6代目柳亭燕路。 *6代目(当代) 柳家小団治 - 本項にて詳述。 ---- 6代目柳家 小団治(1944年(昭和19年)11月23日 - )は、東京都出身の落語家。本名、吉田 武脩(よしだ たけひさ)、落語協会所属、出囃子『小団治ばやし』。学習院大学落語研究会顧問、東京農業大学非常勤講師。剣道七段。東京都杉並区水月剣友会師範、東京農業大学オホーツク支部剣友会師範、静岡県榛原少年剣道クラブ名誉顧問。 == 概要 == 東京都出身。10歳から杉並区の剣道場大義塾で剣道を始め、剣道範士中村藤吉、全日本剣道選手権優勝者中村太郎に師事。道場の先輩は林家木久扇(現落語家、大義塾OB会会長)。中央大学附属高校で剣道部に所属し東京都大会で活躍。同時にラジオ東京「しろうと寄席」で講談を披露し活躍。中央大学でも剣道部に入部し弘友和夫(後、国会議員、剣道七段)と交友。1965年、落語家で剣道家の5代目柳家小さんに入門。1967年に中央大学経済学部を卒業。1970年、二つ目に昇進し、6代目小団治を襲名。1979年、真打に昇進。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳家小団治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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