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柳家 金蔵(やなぎや きんぞう、生没年不詳・1960年?没)は、落語家。本名、中村良三。 元は上方の噺家で1912年に6代目林家正楽(織田徳治郎)の門下で正輔、1914年、5年頃に正團治。この頃の渾名(あだな)を背が高い事から『通天閣の正團治』だったと言う。 故に1921年に東京に上京し睦会に所属し1922年に6代目春風亭柳枝の門下で柳窓と改名(この改名で真打昇進?)、睦を離れ研成会を経て、1929年に金語楼一座で金蔵となった。 その年の読売新聞『講談落語一百人』には『上方弁であるが落ち着いた話し振りに不思議な味を持っていて、何させても危な気なくこなすところ、近頃の新進としては珍しい堅実さである』と評され、どこか師匠柳枝と風采が似ていたという。戦時中は顔付も見られなくなるが、戦後2代目桂小南に稽古をつけたのをきっかけに1955年に落語芸術協会に加入し高座に復帰。1960年1月の下席の顔付まで見えるがその後不明。その頃死去した模様。 音源は唯一文化放送に金語楼と共に録音したのが残されている。演題は「名違い」。 == 出典 == *諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X *古今東西噺家紳士録 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳家金蔵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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