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柳川 次郎(やながわ じろう、梁 元鍚(ヤン ウォンソク)、在日韓国人1923年-1991年12月12日)は、ヤクザ、暴力団 柳川組初代組長。通称:マテンの黒シャツ。日本IBF初代コミッショナー。 ==生い立ち== 釜山生まれ。1930年に家族と来日し大阪府に居住、ここで後に柳川組二代目となる同胞の在日韓国人谷川康太郎(本名:康 東華(カン ドンファ))と知り合うことになる。1941年に太平洋戦争が開戦すると半ば強制労働に駆り出されるような形で家族と共に大分県の軍需工場近くに移住するが、1945年の終戦で一家は帰国をすることになる。だが、出国直前に喧嘩に巻き込まれ柳川は逮捕、このため一人日本に取り残されることになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳川次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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