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柳沢 主尹(やなぎさわ もりただ、天明5年3月19日(1785年4月27日)〔町田市史編纂委員会編 『町田市史:上巻』 町田市、1974年、pp.1235〕 ‐嘉永4年(1851年))は、江戸幕府旗本。柳沢聴信の長男。母は山中廣幸の娘。通称は吉太郎のち八郎右衛門。 子の柳沢正信が家督を継いだ。 ==略歴== ※日付は旧暦 *文政6年(1823年)11月1日-小姓組の番士から小十人頭となる *天保3年(1832年)-琉球王尚育の即位に伴う謝恩使が来府した際に江戸城柳ノ間の給仕を担当する *天保12年(1841年)5月13日-徒頭となる *天保14年(1843年)4月-将軍徳川家慶の日光社参にお供する *天保14年(1843年)9月27日-徒頭を辞職する *嘉永4年(1851年)-死去。月桂寺に葬られる。享年67 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳沢主尹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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