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柳沢光邦[やなぎさわみつくに]
柳沢 光邦(やなぎさわ みつくに)は、越後黒川藩の第8代(最後)の藩主。 == 生涯 == 高家旗本・武田信之の六男。文久2年(1862年)11月13日、従兄弟にあたる先代藩主の光昭の養子となる。慶応3年(1867年)9月23日、将軍徳川慶喜に拝謁する。慶応4年(1868年)閏4月20日、養父の隠居により家督を相続する。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還により黒川藩知事に就任した。明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により免職となる。明治12年(1879年)、大蔵省御用掛となった。明治17年(1884年)7月、子爵に叙爵。明治23年(1890年)7月、貴族院議員に選出され、明治30年(1897年)7月まで1期務めた。大正12年(1923年)に死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳沢光邦」の詳細全文を読む
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