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柳沢 安長(やなぎさわ やすなが、元文1年(1736年)‐寛政9年11月30日(1798年1月16日))は、江戸幕府旗本。柳沢安弘の次男。母は柳沢時附の娘。通称は弥一郎、源七郎。子に政位、言明らがいる。妻は、旗本飯塚昭之の娘。 安長の死後、長男の政位が家督を継いだ。 ==略歴== ※日付は旧暦 *宝暦12年(1762年)9月28日-小姓組の番士となる。のち、西丸勤めと本丸勤めを交互に務める *明和2年(1765年)8月4日-父安弘の致仕に伴い、家督を相続する *寛政8年(1796年)12月10日-敏次郎(後の将軍徳川家慶)付きとなり西丸勤めとなる *寛政9年(1797年)11月30日-死去。享年62。月桂寺に葬られる。法名は了道 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳沢安長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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