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柳沢 泰孝(やなぎさわ やすたか、天保4年10月15日(1833年11月26日) - 安政3年2月12日(1856年3月18日))は、越後三日市藩の7代藩主。6代藩主・柳沢里顕の長男。母は堀直庸の娘。正室は松浦皓の娘。子は柳沢徳忠(長男)、柳沢信恒(次男)。弾正少弼。幼名、久米次郎。 天保14年(1843年)2月16日、父里顕の死により家督を相続する。弘化4年(1847年)4月1日、将軍徳川家慶に拝謁する。同年12月16日、従五位下弾正少弼に叙任する。嘉永5年(1852年)9月2日、日光祭礼奉行を命じられる。安政3年(1856年)に若くして死去した。跡を長男の徳忠が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳沢泰孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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