翻訳と辞書
Words near each other
・ 柳沢田実
・ 柳沢由実子
・ 柳沢真一
・ 柳沢真由美
・ 柳沢秀吉
・ 柳沢秀夫
・ 柳沢管楽器
・ 柳沢紀子
・ 柳沢純
・ 柳沢純子
柳沢経隆
・ 柳沢絵美
・ 柳沢美晴
・ 柳沢美濃守吉保
・ 柳沢翔
・ 柳沢聴信
・ 柳沢英子
・ 柳沢蔵之助
・ 柳沢裕一
・ 柳沢貴彦


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

柳沢経隆 : ウィキペディア日本語版
柳沢経隆[やなぎさわ つねたか]
柳沢 経隆(やなぎさわ つねたか、元禄7年11月16日1695年1月1日) - 享保10年8月23日1725年9月29日))は、甲斐甲府新田藩主、のち越後黒川藩の初代藩主。側用人として有名な柳沢吉保の四男。母は側室正親町町子(田中氏とも)。正室は大納言正親町実豊の娘・直子。官位従五位下刑部少輔
江戸神田橋邸にて生まれる。幼名は安通、伊織。元禄8年(1695年)6月19日、将軍徳川綱吉の命令を受けて横手姓に改姓した。その後の元禄14年(1701年)11月26日、松平姓を名乗ることを許される。宝永6年(1709年)6月3日、父より1万石を分与されて甲府新田藩主となった。宝永7年(1710年)4月7日に元服する。
享保9年(1724年)閏4月28日、甲斐から越後黒川に移封されたが、翌年8月23日に32歳の若さで死去した。子がなく、跡を養嗣子の里済が継いだ。法号は実山勝義天休院。墓所は東京都新宿区市ヶ谷河田町の正覚山月桂寺。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「柳沢経隆」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.