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柳沢 里旭(やなぎさわ さとあきら、享保7年5月27日(1722年7月10日) - 元文元年6月3日(1736年7月11日))は、越後黒川藩の第3代藩主。大和郡山藩士・柳沢里光(先代藩主・柳沢里済の兄・柳沢保教の三男)の長男。母は柳沢重守の娘。通称、新五郎。 享保元年(1716年)生まれともされる。享保20年(1735年)、叔父で先代藩主の里済が若死にしたため、その養嗣子として跡を継いだが、翌元文元年(1736年)の将軍御目見の直後に死去した。跡を弟で養子の保卓が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳沢里旭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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