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柳河 春三(やながわ しゅんさん、天保3年2月25日(1832年3月27日) - 明治3年2月20日(1870年3月21日)は、幕末の洋学者。後に良三。姓は栗本、名は春蔭。初名は西村辰助。号は臥孟、楊江。オランダ語、英語、フランス語に通じる。 == 略歴 == *尾張藩に生まれ、砲術家上田帯刀や伊藤圭介に蘭学を学ぶ。 *1856年(安政3年)江戸に出る。柳河春三と名乗る。 *1857年(安政4年)和歌山藩の蘭学所へ出役。 *1864年(元治元年)開成所で教授となる。 *1868年(慶応4年)開成所で頭取となる。同年、「中外新聞」を17号まで発行。スタッフには開成所同僚の渡部温もいた。上野彰義隊を報じた「別段中外新聞」は、日本初の号外新聞となった。 *1870年(明治3年)2月20日、肺結核のため病没〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)29頁〕。享年39。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳川春三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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