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柳澤 龍志(やなぎさわ りゅうし、1972年6月22日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家。本名は柳澤 敦史(やなぎさわ あつし)。青森県青森市出身。 == 来歴 == 中学、高校時代をむつ市で過ごす。青森県立田名部高等学校時代はボート部に所属し、インターハイにも出場している。 1991年、藤原組に入団。1992年4月19日、東京体育館での冨宅祐輔戦でデビュー。 1992年12月、船木誠勝・鈴木みのるらと共に、藤原組を離脱〔格闘技通信 1993年2月23日号 4-7頁〕。 1993年5月のパンクラス設立当初からのメンバーであったが、2000年6月にパンクラスを離脱。前田憲作主宰のチームドラゴンへ移籍して、総合格闘技ではリングス、打撃格闘技ではK-1を主戦場に移した。パンクラスではセーム・シュルト、リングスではエメリヤーエンコ・ヒョードル、グローブ空手のトーワ杯では士道館の村上竜司にKO負け、内田に判定負け。K-1ではミルコ・クロコップ、キックボクシングではビタリ・クリチコ(後のボクシングWBC世界ヘビー級王者)といった選手との対戦経験を持つが結果を残せていない。 しかし、格闘技では目立った結果を出せずに、やがて魔界倶楽部の一員として新日本プロレスに登場。鈴木健想、吉江豊を倒してヤングライオン杯優勝。そして高山善廣が当時保持していたNWF王座に挑戦するも、噛み合わず敗北。それ以降、魔界倶楽部が消滅し、同志の村上和成、柴田勝頼が新日本を離脱したことにより孤立。蝶野正洋のBNJ (BLACK NEW JAPAN) に入るも目立った活躍はなし。新日本プロレスのリングで中堅に甘んじていた。 2004年11月7日、古巣パンクラスに4年8か月ぶりに参戦。野地竜太と対戦したが、判定負け。 2005年、坂口征二設立の坂口道場にて総合格闘技コーチに就任。 2006年、それまで続いていた新日本との契約が切れ、完全フリーランスとなった(それまでも新日本とはワンマッチ単位で契約していたが、事実上新日本の独占契約状態であった)。 2007年9月26日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16のスーパーファイトでキム・ヨンヒョンと対戦し、判定負け。 2009年8月23日、約4年8か月ぶりの総合格闘技ルールでの試合となったDEEP 43 IMPACTでベルナール・アッカと対戦し、開始7秒右ハイキックでKO負け。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳澤龍志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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