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柳生久寿[やぎゅう ひさとし] 柳生 久寿(やぎゅう ひさとし、元禄9年(1696年) - 天明元年7月19日(1781年9月7日))は、江戸時代の旗本。剣術家。柳生久辰(村田十郎右衛門久辰)の長男。はじめ村田伊十郎(猪十郎)といった。通称、主水。官位、従五位下、播磨守。子に長男柳生久隆、二男高尾孫兵衛信喜(旗本800石)、三男美濃部内膳茂孫(旗本510石) 。 宝永5年(1708年)、将軍徳川綱吉に拝謁し、後継者の徳川家宣に配属されて西の丸小姓となり、300石を賜わる。 宝永6年(1709年)、家宣が6代将軍に就任し本丸へ移るに伴い、将軍付属の小姓となる。 正徳2年(1712年)、剣術の師匠に当たる大和柳生藩主柳生俊方より柳生姓を名乗ることを許され、村田を改め柳生を称した。従五位下播磨守に叙任され、子孫は旗本となった。その後、十代将軍徳川家治の剣術指南を務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柳生久寿」の詳細全文を読む
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