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柴田勝重[しばた かつしげ]
柴田 勝重(しばた かつしげ、天正7年(1579年)〔『寛永諸家系図伝』、『寛政重修諸家譜』〕 - 寛永9年4月25日(1632年6月12日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、江戸幕府旗本。通称は三左衛門。幼名は権六郎。 法名は浄英。 父は柴田勝政、母は日根野高吉の娘。正室は日根野吉時の娘。継室は織田長政の娘、佐久間勝之の娘、子に勝興・三浦信勝・勝平・勝昌など。 天正11年(1583年)北ノ庄城落城の折、祖父柴田勝家により愛用の兜を与えられ、郎党とともに母方の祖父である上野国の日根野高吉のもとに逃がされた。16歳で元服し勝重に名乗る。慶長4年(1599年)徳川家康に仕え上野国に2000石を賜る。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで初陣を飾る。慶長19年(1614年)・慶長20年(1615年)の大坂の役の戦功により、武蔵国上仙川村および中仙川村(現在の東京都調布市仙川町から三鷹市新川・中原にかけての一帯)および藤沢村(現在の埼玉県入間市藤沢)内500石の領地を加増される。徒歩頭を務め計3500石を領した。 寛永9年(1632年)に死去。享年52。三鷹市新川4丁目の春清寺には勝重を祖とする柴田氏三代の大きな墓がある。法名は、揚源院殿雄山浄英居士。 == 脚注 ==
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柴田勝重」の詳細全文を読む
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