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株価大暴落(かぶかだいぼうらく)は株式市場全体で株価が突如急激に低下すること。 暴落は経済要因に加えパニックにより加速される。また投機的株価バブル(Stock market bubble)に続いて発生することが多い。 株価大暴落はある市場参加者の売りからポジティブフィードバック(Positive feedback)がはじまり、より多くの市場参加者の売りを加速するという群集心理(Crowd behavior)に、外部経済事象が重なった社会現象である。暴落は一般に次の条件下で発生する。 *株価の上昇が長期にわたり過度の楽観主義が蔓延 *市場で株価収益率が長期平均を上回る *レバレッジと信用取引に対する市場参加者の過度の依存 暴落を数値化した定義はまだないが、数日間で市場平均株価の変動率が2ケタの低下をみせる場合が一般的である。暴落はパニック売りと突然且つ劇的な株価低下により下げ相場(:en:Market trend」は、:ja:時流 とリンク -->" TITLE="Bear markets">Bear markets)とは区別されるのが普通である。下げ相場は数ヶ月から数年単位でみられる市場株価の低下である。それに対し暴落は下げ相場と結び付けられることが多いが、必ずしも下げ相場を伴うわけではない。例えば1987年の暴落は下げ相場には結び付かなかった。また日本の日経平均株価にみる1990年代の下げ相場はこれといった暴落もなく数年間続いた。 ==1929年の暴落== 史上もっとも有名な暴落は1929年のウォール街大暴落であろう。怒涛の20年代に経済は急成長した。この時代はラジオ・自動車・航空機・電話・電力供給といった発明が普及した技術の黄金期であった。この時代の先陣を切ったRCAやゼネラルモータースの株価は急上昇した。金融会社もウォール街の銀行家がゴールドマンサックスなど 投資信託会社株を買い好調だった。投資家は信用取引にレバレッジを効かせて得た株式市場からのリターンに有頂天だった。1921年8月24日、ダウ式平均株価は63.9だったが、1929年9月3日には6倍以上の381.2に上昇していた。以後25年間この水準に戻ることはなかった。 その年の夏には経済に限界がみえ10月前半には株価も低下してゆくことが誰の目にも明らかだった。この株価不安に投資家は浮き足立ち事態は一気に現実化した。24日(通称:ブラックサーズデー)には株価急落の第1波が襲来した。さらに追い立てるように28日のブラックマンデー、29日のブラックチューズデー(:en:Wall Street Crash of 1929」は、:ja:ウォール街大暴落 (1929年) とリンク -->" TITLE="Black Tuesday">Black Tuesday)が続いた。 ブラックマンデーにはダウ式平均株価は38ポイント低下して260になり、下落率は12.8%だった。売り注文が殺到して、投資家に手持ちの株の時価を知らせる電信システム(ticker tape)の能力を圧倒した。電話線と電報の機能はパンクして十分対応できなかった。この情報の真空は一層の恐怖とパニックを呼んだ。投資家が歓迎した新時代の技術はこの期に及んで深刻なボトルネックとなった。 ブラックチューズデーは混迷の日であった。追加証拠金が必要となり手持ち株の現金化をせまられた投資家は売り注文に殺到した。時代の寵児だった優良株は凋落の憂き目を見た。かつて75ドルの最高値をつけたRCA株は、この日の取引開始から2時間で40.25ドルから26ドルに落ち込んだ。ゴールドマンサックスは取引開始の60ドルから終値35ドルで引けた。同様にニューヨークのファーストナショナルバンクは5,200ドルから1,600ドルに低下した〔''Devil take the Hindmost'', Edward Chancellor. ISBN 0-374-13858-3. New York:1999. p216.〕。2日間でダウ式平均株価は23%低下した。 11月11日は週末で株式指標は228となり、9月の最高値から40%の下落をみた。市場では続く数ヶ月間活発な取引が展開されたが、これは焼け石に水で、やがて現代史上最悪の経済危機が投資家を呑み込んだ。 株価暴落は投資家に重大な損失を与えたが、これに続く大恐慌はさらに悪質であったことはよく知られている。暴落は多くの投資家のポートフォリオに深刻な穴を開けたが、大恐慌はそれどころか破産をもたらした。大恐慌が底をつく1932年7月8日時点でダウ式平均株価は89%下落していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「株価大暴落」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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