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桐生高等工業学校(きりゅうこうとうこうぎょうがっこう)は、1915年(大正4年)に設立された桐生高等染織学校を前身とした旧制専門学校。略称は「桐生高工」。群馬大学理工学部の前身。群馬県初の高等教育機関である。新制高等学校である群馬県立桐生工業高等学校が群馬大学理工学部に隣接しているが別組織である。 == 概要 == *第8の官立高等工業学校として設立され、本科 (修業年限3年) に色染科・紡織科を設置した。全寮制として徳育を重視する教育が実施された。 *高工卒業生は旧制高校を経ることなく東京工業大学や地方の帝国大学の受験が認められた。 *戦前の官吏制度においては、帝大卒は奏任官である技師、高工卒は判任官である技手採用だった。 *1934年本校と桐生市立西小学校は昭和天皇誤導事件の舞台となった。 *西田博太郎二代目校長は学生に対し英国流の紳士の素養を求め修養主義と体育振興を掲げた。軍事訓練は盛んではなく朝鮮人差別も少なかった。 *西田博太郎は世界恐慌と戦後の不況を含めた27年間校長を努め、日本経済についてさらなる科学の適用と思い切った産業順応性の実現を訴えた。 *第二次世界大戦中に桐生工業専門学校 (略称: 桐生工専) と改称された。 *第二次世界大戦中の学徒出陣のなか、理科系である高工生は徴兵が猶予された。 *学制改革で新制群馬大学工学部の母体となった。 *同窓会は 「群馬大学工業会」 と称し、新制 (工学部・理工学部出身者) 合同の会である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桐生高等工業学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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