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桑原征平 : ウィキペディア日本語版
桑原征平[くわばら しょうへい]

桑原 征平(くわばら しょうへい、1944年(昭和19年)5月14日 - )は、日本フリーアナウンサータレント司会者ラジオパーソナリティ。2015年度(平成27年度)からは、種智院大学人文学部社会福祉学科の客員教授を務める。
1969年(昭和44年)8月から2004年(平成16年)5月14日までは、アナウンサーとして関西テレビに勤務。2004年度(平成16年度)から2014年度(平成26年度)までは、アナウンサーとして活動するかたわら、大阪芸術大学で客員教授や教授を歴任した。また、一時は「丹後ふるさと観光大使」(京都府)も務めていた。
ニックネームは「征平さん」(もしくは「征平ちゃん」)。桑原菜穂子〔夫はテレビカメラマンの柿内孝文。〕(フジテレビディレクター)、桑原達秋福井テレビ局員、元・同局アナウンサー)の実父でもある。
== 来歴・人物 ==
京都府京都市右京区西院の出身で、京都で「水泳一家」として知られた家庭の三男として出生。次兄は、水球の日本代表選手として1964年東京オリンピック・1968年メキシコオリンピック・1972年ミュンヘンオリンピックに出場した桑原重治(元・水球日本代表監督。2007年死去)である。
高校進学の際には、2人の兄の母校でもある京都市立西京高等学校商業科を受験するも不合格。結局、私立京都西高等学校(現在は京都外大西高等学校)を経て、2人の兄の母校でもある成城大学経済学部に進学した〔『桑原征平3019』に所収の「激白!桑原征平大いに語る」より。〕。
学生時代には、競泳水球の選手として活躍。男子200mバタフライでは京都府の中学生記録を5年間保持していたほか、中学校時代には同種目で東京オリンピック(1964年)の日本代表候補選手になったこともある。高校時代にも3年連続で、国民体育大会の競泳・バタフライ種目に京都府代表で出場している〔『桑原征平3019』に所収の「トークバトル 道上洋三vs桑原征平」より。東京オリンピックの日本代表候補になったのは、バタフライ・中学生の部で全国11位の記録を残したことによる。また、国民体育大会には、熊本・火の国国体1960年)「秋田・まごころ国体」(1961年、競泳種目は福島県会津若松市で開催)「岡山国体1962年)の夏季大会にそれぞれ出場。岡山国体では、バタフライ・高校生の部で7位入賞を果たしている。〕。
ちなみに、中学校時代の同級生に、山本忠男(元・南海ホークス内野手・コーチ、三星ライオンズコーチ・監督)や桧山進次郎(元・阪神タイガース外野手)の伯母などがいる。桧山本人も、出身小学校の後輩である。京都西高校水泳部の同期生にお笑い芸人・宮川大輔(以下「大輔」と略記)の実父、成城大学水球部時代の同期生にピン芸人・TAIGAの実父がいた関係で、大輔やTAIGAとも幼少期から親しい〔大輔との関係については、『桑原征平3019』に所収の「激白!桑原征平大いに語る」で詳しく記載。〕。TAIGAについては、後述の経緯から親戚の関係にもある。さらに、ラグビー日本代表およびU20トンガ代表への選出歴を持つアマナキ・レレィ・マフィNTTコミュニケーションズシャイニングアークス所属のラグビー選手)も親戚に当たる〔桑原の従妹の子(母の弟の娘の娘)に当たる日本人女性と2015年5月に結婚。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桑原征平」の詳細全文を読む



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