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桑折景長 : ウィキペディア日本語版
桑折景長[こおり かげなが]

桑折 景長(こおり かげなが)は、戦国時代から安土桃山時代武将伊達氏重臣。出羽国長井郡小松城主。
== 生涯 ==
永正3年(1506年)、伊達氏重臣・桑折宗季の嫡男として生まれる。桑折氏は伊達氏第3代伊達義広の庶長子・親長を祖とする伊達氏の庶流家で、景長は宿老として伊達稙宗に仕えていた。
天文11年(1542年)、稙宗が三男の時宗丸越後守護上杉定実の養子に送り込む案に反対し、中野宗時らと共に稙宗の長男・晴宗を擁立し、鷹狩りの帰路にあった稙宗を急襲して西山城に押し込めた。このクーデターは成功したかに見えたが、稙宗はほどなくして小梁川宗朝により西山城から救出され、女婿の相馬顕胤懸田俊宗らを糾合して反撃に転じたため、奥羽諸侯を巻き込んだ天文の乱へと発展してしまった。景長は晴宗方の主力として戦い、天文17年(1548年)に乱が晴宗方の勝利に終わると、守護不輸権などの特権を獲得し、弘治元年(1555年)、晴宗が奥州探題職に補任されると牧野久仲石母田光頼と共に守護代を拝命し、白傘袋の使用を許されるなど格式の上では家臣団中最上位に位置付けられたが、実権は中野宗時が握っていたため、晴宗政権下での権力はその格式に比して小さなものであった。
天文22年(1553年)、晴宗による家臣団知行地の再編にともない、居城の小松城を牧野久仲に譲り渡して刈田郡万行楯城に移ったが、永禄13年(1570年)に中野宗時・牧野久仲父子が輝宗により謀反の疑い有りとして追放されると、景長が再び小松城主となった。
当初、景長は稙宗の六男・宗貞を養嗣子として迎えていたが、天文12年(1543年)9月8日、宗貞が17歳の若さで死去すると、相模国遊行寺にて出家させていた実子の宗長を呼び戻して還俗させ、家督を継がせた〔『桑折町史』資料編所載の「仙台桑折氏系図」では、宗貞の死因は宗長と戯れていた際に小刀による傷を負ったことによるもので、これが原因で宗長は出家させられ、叔父・飯田貞親に伴われて遊行寺に居たが、のちに赦免されたので還俗して家督を継いだとしている。〕。
天正5年(1577年)9月19日死去。享年72。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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